経験と体験の違い!哲学における2つの意味の違いとは?
記事公開日:2016年3月6日
最終更新日:2016年8月3日
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経験と体験。
どちらも似ている言葉ですよね。
たとえば、
「不思議な経験」
「不思議な体験」
「不思議な体験」
と2つ並べた場合に、どのような違いがあるのでしょうか。
うーん。
どっちも同じ意味のような・・・・。
と、思ってしまいますが、
やっぱりちょっとニュアンスに違いがあります。
具体的にどのような違いがあるのか、さっそくチェックしてみましょう~。
経験と体験の違い
経験
経験というのは
- 実際に見たり、聞いたり、行ったりすること
- それによって得られた知識や技能などのこと
という意味を持ちます。
経験の場合は、「見たり聞いたりしたこと」を通じて、
その人の血肉となり、身に付くものがある場合に使います。
体験
体験というのは、
- 自分で実際に見たり経験すること
- また、その経験
という意味を持ちます。
体験の場合は、「その人の行為や実地での見聞」という、
「体験そのもの」がフォーカスされる傾向があります。
例えば・・・・
「経験値」とは言いますが、
「体験値」とは言いませんよね。
経験は積むことで身に付く技能がありますが、
体験は「体験」自体が主体になるため値はつけられません。
もう一つ例を挙げてみましょう。
例えば・・・・
「疑似体験」とは言いますが、
「疑似経験」とは言いませんよね。
この時の体験は、「本物に近い体験をした」という、
「体験」に重きが置かれています。
「疑似経験」だと、何か違和感を感じるのは、
「経験」の意味に含まれる、
という意味合いが含まれていないからですね。
(^^)h
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使われ方の違い
では、経験と体験についてもう少し詳しく、
実際の使われ方などをみてみましょう。
例えば「経験」ですと・・・・
- 「経験が浅い」
「人生経験を積む」
「いろいろな部署を経験する」
などの例文を作ってみました。
上記の例文で「経験」を「体験」に置き換えると、
ヘンな日本語になってしまいますよね。
会社いつもで経験する通常の業務や、知識、知見として身に着けていくものの場合は体験という言葉は使われません。
次に「体験」ですと・・・・
- 「恐ろしい体験」
「生まれて初めての体験」
「戦争体験」
などなど。
体験は、その人の行為や実地での見聞に限定していて、
中でも印象の強い出来事に使われることが多い言葉です。
「体験そのもの」に重点が置かれてるのがポイントですね。
「経験」と「体験」を比べると、
「経験」の方が一般的に使われています。
なので、上記「体験」の例文は、
ずべて「経験」に置き換えてもさほど違和感はないですよね。
(^^
ちょっとここでさらに掘り下げて、
哲学的な意味での「経験」と「体験」をみてみましょう。
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哲学における体験と経験
哲学における経験というのは、
- 理念や思考、想像、記憶によってではなく、感覚や知覚によって直接に与えられ、体験されるものごと
を意味します。
少し噛み砕いて言うと、
「自分の意志とは関係なく、見て、触触って体験した実際的なこと」
と、言ったとこでしょうか。
次に、哲学における体験というのは、
- 個々の主観のうちに直接的または直観的に見いだされる生き生きとした意識過程や内容
という意味があります。
これまた少し噛み砕いて言うと、
「自分の意識下であえて体験したものごと」
という感じでしょうか。
「体験そのもの」に重点が置かれているのは、
哲学的な意味でも同じなんですね~。
ちなみに、哲学でいう体験というのはドイツ語特有の表現となります。
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まとめ
今回は体験と経験の違いについて紹介しました。
掘り下げて調べてみると、なんだか少し哲学ちっくなお話になってしまいました。
(^^;
ざっくりいうと、
という違いがありました。
たとえば、
「仕事を経験する」だと仕事の経験値が蓄積されますが、
「仕事を体験する」だとその「仕事をやってみた」というニュアンスになります。
うーん。
伝わりましたでしょうか。
(^^;
今回は以上です。
参考になりましたら幸いです。
(*゚ー゚*)ノ
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